1.言葉の定義とは
言葉遣いの汚い(乱暴)な人と、綺麗(丁寧)な人がいる。言葉が「凶器」になることを知っていれば、「汚い・乱暴」な言葉は選ばないはずである。それが、相手を深く傷つけることを知っているからである。どんな理不尽なことをされても、それを理由に言葉で傷つけ返すことは正当化されない。言葉の暴力は、時には肉体的な暴力よりも大きなダメージを相手に与える。特に、精神的なダメージは計り知れない。
言葉は、意思伝達の手段である。だから、そこに何が込められているかを人は感じる。憎しみなのか、怒りなのか、愛情なのか、優しさなのか。上司は部下に言葉をかけるときに、注意が必要なのはこの点なのである。
2.何が違うのか
「汚い・乱暴」な言葉を使う人は、それが「厳しさ」に繋がると勘違いをしている。丁寧な言葉でも「厳しさ」は伝えられる。汚い・乱暴な言葉で伝わるのは、「怒り」でしかない。それでは、部下たちは、恐れを感じて萎縮してしまう。「怒られないように仕事しよう」という極めて後ろ向きの仕事の進め方になる。
「綺麗・丁寧」な言葉を使う人は、相手の気持ちの変動をわかってくれている。「私の言いたいことがわかるだろ?もっと頑張って欲しいんだ」という思いを込めて話せば、部下も理解してくれる。一番大事な「この人ために頑張ろう」となる。
声を張り上げなくても、低いトーンで充分発言者の厳しい指摘は伝わる。様々な経営者・経営幹部を見てきたが、やはり「綺麗・丁寧」な言葉で諭すように部下指導する人は、器の大きさを感じる。
3.言葉づかいは人の心を表す
自分に自信があって「ドンとぶつかってこい」という上司は、「汚い・乱暴」な言葉を使わない傾向が強い。つまり、言葉が汚い・乱暴というのは、その上司の心の“弱さ”や“未熟さ”を示していることがあるということだ。
このコラムで何度も指摘しているが、「萎縮」はチーム力を削ぐ。厳しく指摘して、叱らなくてはならない場面は多々ある。会議でしっかりと侃々諤々の議論を真剣にやったあと、懇親会をやるのは、会議で厳しい言葉のやりとりをしたあと(参加者の中にはやはり傷つく者もいる)、そのフォロー(傷を癒してあげる)するのである。
人間は、常に100点は出せない。100点を出せなくても「80点、頑張ったね」と言われるから次の85点を目指すのである。「60点、次頑張ろうね」と言えているか。言葉は「自分の心の鏡」である。