【第95号】「量が質を決める」とは

1. 量もこなさず質を語るな

 多くの仕事を抱える、沢山の仕事をこなす、ことが「ワークホリック」という言葉とともに罪悪であるかのような捉え方をしているように感じることがある。
 しかし本当にいけないことなのだろうか。仕事を覚えるには、早ければ早いほどいい。体力がないと、無理ができない。朝早くから夜遅くまで仕事をする(毎日というわけではない。必要な時に、という意味で)、長期出張をする、などは若いからこそ健康を損なわずにできる部分である。
 それに、仕事を覚えるにしても、残業が関係なくなる管理職になってからでは、遅い、あるいは時間がかかるものも増えてくる。
 仕事の品質が低い社員に限って、その量をこなす前から、「こんなに仕事ばかりやっていられない」「仕事オンリーの生活にはなりたくない」などという。でも、量をこなして質を上げなければ、その仕事も続けられないのである。

2. どの段階で量から質へ転換するのか

 質の向上に終わりはない。量について、明確な基準が存在するわけではないし、限界があるわけではない。しかし、本人が「これぐらいでいいだろう」と思っているうちはまだ足らない。本人も気付かないうちに、周囲が違って見えてきたときがゴールなのである。
 同じ仕事をしているはずなのに、先が読めるようになる。スピードが格段に上がる。という感触を得られるようになると質が向上した段階と言える。
 筆者の体験から言えることは、「もうだめ、ヘトヘトだ」「楽になりたい」という欲求の中から生まれてきているようにも思う。水泳でもそうだが、ムダな泳ぎ、力が入っている泳ぎでは長距離は泳げない。長距離を泳いでいるうちにフォームから力が抜けてくる。

3. ステージアップの手段である

 以前、読書について触れた時に“乱読”の時期が必要、ということを書いたと思うが、これも同様である。知識というアンテナを増やし、その網の目を細かくしていくことで、良書とそうでない本の見分けがつくようになる。識別できる目という質が上がるのである。
 量をこなすことで、質があがる、それは自分のステージ(活躍する場)が上がることになる。見えるものが変わってくることのすばらしさは体感しないとわからない。そして、ステージごとに当然存在している人たちも違う。つまり、人間関係も変わってくる。考え方や、出している成果が違う人たちと接することができるようになる。
 それは、仕事で言えば、自分のお客様の層が変わることにもなる。量をこなして、住む世界を変えてもらいたい。