【第8号】残業の功罪

1.生活費としての意味合い

 人件費の削減が唱えられ始めてから、残業が不要のコストとなり、その見直しが様々な企業で行われてきた。また、サービス残業の問題、過労死の問題からも早期に解決すべき課題とされてきた。
 その中で、残業の削減にとって障害となるのが、まず残業が「生活費」となっている問題である。月に数万円の残業代をもらってギリギリの生活をしている社員が、残業代がなくなるだけで生活に苦しくなってしまう。こういったケースがあるため、社員の間には残業削減は頭でわかっていても削減へのモチベーションが高まらず、うまくいかないことが多い。残業がなくなって時間的ゆとりがうまれても経済的ゆとりにはつながらないからである。本来、業績連動型の賃金であれば、残業というコストが減ると利益の増加につながり、最終的には賃金の上昇につながるはずなのであるが・・・・・

2.鍛錬の場

 これは私自身の体験からの思いであるが、残業は鍛錬の場にもなっていた。新人時代、未経験の業務を任されると、「どうしてこうやるのだろう」「どうしてこういう仕組みになっているのだろう」などとひとり居残って思案に暮れていた。
 日頃、先輩社員や上司が独占していた資料も見放題、参考資料も使い放題、PCの端末も使い放題(今から20年前は「みんなのPC」であった!)、自分としては効率的に疑問が解決できる時間でもあった。
 そして自分の解決すべき課題を「これは今日中に片付けるぞ!」と目標を持って取り組める時間でもあった。日中は、社内の関係部署からの問い合わせや打ち合わせで、自分の時間など作れなかった。特に入社2~3年目までは、組織として取り組む仕事や上司からの依頼の仕事などで身動きが取れない。時間や締め切りとの戦いがずっと続いており、これが仕事の効率をあげていく鍛錬の場となった。

3.コミュニケーションの場

 これも私自身の体験だが、当時、私が働いていた会社で残業をしていたのは、どのセクションにおいても仕事ができて、頼りにされている人が中心であった。その中で、疑問点や不明点などを尋ねているうちに、そういった人たちとの間に連帯感のようなものが生まれてくる。残業後の食事をいっしょに行ったり、そういった席で会社の将来について語りあったりと、「濃密な」コミュニケーションの場ともなっていた(そういえば、なぜ会社の冷蔵庫にビールが入っているのか、入社当時はわからなかったが、みんな残業が終了に近づくと缶ビールを片手に仕上げにかかっていた)。
 確かに残業はないほうがいい。しかし、今自分の20代を振り返ってみて、残業をしていなかったら今の自分があるのか、はっきりと言い切れる自信はない。