【第5号】何が無駄で何が必要かを決めるもの

1.判断基準となるモノサシ

 この原稿を書いている段階では、政府による事業仕分けが進行中の状況である。その様子を見ていて感じることは、何が必要で何が不必要かを決める判断基準の「モノサシ」が重要であるということである。
 企業経営において「経営理念」や「社是社訓」が大切であると言われるのはこの部分である。現在行っているように、確かにひとつひとつの政策や事業について判断することも可能である。それなりの基準を持って仕分けを行っているようである。しかし、今一わかりづらいのは、この企業の経営理念にあたる「どんな国にしていきたいのか」というビジョンが浸透していないからではないだろうか。

2.全体最適と部分最適

 このモノサシがないと全体最適と部分最適のバランスがとりづらい。行政刷新会議での“最適”と各省庁の“最適”のバランス取りが今後難しくなるような気がしてならない。
 企業においても、このもっとも大きなより所である「経営理念」がしっかりと明示してあり、社員に浸透していて初めて正しい判断ができるようになるのである。経営理念の前にはセクショナリズムもエゴも通用しなくなる。
 TVで放映されている時代劇にも“大儀”という言葉が良く出てきていたが、これも一つの判断基準としてのより所である。
 自分たちがやっていること、やろうとしていることが正しいのか、正しくないのか人は迷うものである。だからこそ常にそして何事にも当てはまる「モノサシ」が必要となる。

3.ブレない強い意思

 その「モノサシ」を使い続けていくことで、「モノサシ」となっている経営理念がゆるぎない信念(行動力を支える強い意思)となって定着していく。すべての行動の原点であるからである。創業者の起業の理念が「経営理念」に反映され、それがDNAのように社員に受け継がれていくことが理想であり、企業体質の強化につながる。任天堂のように経営理念として“形”になっていなくても、受け継がれていき社員間で共有化されていれば問題はない。逆に額に飾られているだけであることが問題なのである。
 「わかっているけどそれができない」というのは言い訳である。いい大人がする言い訳ではない。わかっているなら実行すべきであり、実行できないなら知恵を絞るべきである。会社が良くなることがわかっていながら、それをやらずに業績悪化を招いているなら、それこそ問題である。