1.身の回りの情報の精度は「?」
ITの進化で情報収集の方法は格段に増えた。また時間や場所も選ばない。携帯電話には、ニュース速報がすぐに届くし、パソコンの受信トレイには、様々な媒体からのメールマガジンが届く。新聞、テレビ、雑誌、週刊誌、専門誌などを含めると情報の量も増加の一途である。
それでは、これらの情報の精度はどうなっているのであろうか。政権交代が起こり、補正予算の執行停止などがあり、景気への悪影響が囁かれているが、この予算も当初は現場で「一体何に使えって言うんだ?」という声が聞こえていた。
インフルエンザの問題にしても、「流行の度合いは?」「新型と季節性の優先順位は?」「国産のワクチンと輸入ワクチンの安全性や効果の違いは?」など情報が錯綜している。
本当にそうなの?という情報が氾濫しているのが実態ではないだろうか。
2.見極める目を持つ
情報は常にバイアスがかかる。発信する側、受信する側の都合によって解釈が変わることが多々ある。どう偏向しているのか、どの部分が正確性に欠けるのか、それが判断できないと危険である。
そのためには、様々な媒体から情報を収集する必要がある。テレビだけ、新聞だけ、週刊誌だけ、では困る。
当然、情報の精度を確認できるようになるためには、常に仮説を立て検証する習慣が必要となる。「これはこう見ていて正解だったな」「あれはこういう結果になったか。少し違ったな」と結末をフォローし、どの点が違ったのかを確認するようにする。まずは、客観的に判断し、評論家となるのである。そしてその客観的に判断する根拠資料を明確にする。数値データや公的機関の調査データがあればかなり参考になる(統計データも恣意的な数値発表がされることもあるが)。
3.その情報をどのように役立てるか
それができるようになると、ある事象を多角的に見る目が養え、間違った情報を元に判断し行動するリスクを減らすことができる。
また、仮説を立てる力がつくので、ビジネスにおけるストーリー(セールス、プレゼン、プロジェクトスケジュールなど)を立てやすくなる。
人よりも正確な情報を入手できるようになれば、それを武器に差別化したり、人脈形成に役立てたりすることができる。
先日、前仙台市長の梅原氏の話を聞く機会があった。現在の国際情勢や日本の外交のこれまでの経緯と立ち居地、今後の予測など有益な情報を入手することができた。もうひとつ感じたのは、間接的に聞く話と当事者の話は結構差が大きいなあということ。又聞きの情報をもとに判断するのは怖いな、というのが率直な感想である。