1.儚いもの
人の命に関して考えさせられる出来事があったので、感じたことを綴っていきたいと思う。人の命は本当に儚いものである。長患いで長期入院している人より、元気だった人が先にいなくなることもある。生きた人生の長さもあまり関係ない。若くして亡くなる人もいれば、100歳を越えて大往生の人もいる。それでも、関係者からすれば、あっけないものに見える。癌を煩っていて、余命宣告されていて、家族は覚悟ができたつもりでも、喪失感は想像以上と聞く。時間が解決してくれる他にはないのかもしれない。人が亡くなるという出来事に接する度に、切なさが襲ってくるが、それは、自分と関係があった、無かったというのはあまり関係ないのかもしれない。テレビから流れてくるニュースでも、自分の立場に置き換えて聞いているからだ。
2.周りとの関係
様々な別れがあった。登山が好きな同僚の山の事故での別れ。取引先へ自分が販売して物件での交通事故による別れ。だんだんと病気(特に癌)での別れが増えてきている。その度に「自分が死んだら、どうなるのだろう」と想像せずにはおられない。悲しんでくれる人がどのくらいいるのだろう。自分は未練を残していないだろうか。後悔していないだろうか。天国からどんな気持ちで残された人たちを見ているのだろうか、など。
住む環境や働く環境が変わることで、人間関係が変わる。今、どんな関係を築いているかによっても変わってくる。仕事関係であっても、プライベートであっても、自分が等距離になればなるほど、深い関係になればなるほど、考えるようになる。
3.人生の意味
自分の「生き方」を考え、働き方や人間関係のあり方を見直すと、人生そのものの意味が変わってくる。すると、命(死)というものに対する考え方が変わる。やはり「人生は辛かった」と振り返ることはしたくないもの。「自分の人生は楽しかった。充実していた」で締めくくりたい。そして、そんな振り返る余裕がない終わり方であっても、本質的には、日々、満足した人生を送っていたいと思うものだ。だから、朝起きた時に、「今日も無事に目覚めることができました。感謝」となるし、寝る前に、「今日も無事に家族と楽しい時間を過ごすことができました。感謝」となる。やることを後回しにしていると、やり残しの多い人生になってしまう。今を大切に生きているか、いい加減に、だらしなく生きていないか。自分に誠実に生きているか。問いかけを忘れず、日々過ごすようにしたい。