【第306号】あの日から5年

1.止まった時間

 今年は、「あの日」から5年。その節目に、被災地を訪れるシンポジウムがあったので、参加することにした。フクイチの側を通り、仙台に向かうルートだった。帰宅困難地域の荒廃を目の当たりにして、進まない復興を感じた。津波の被害を受けた地域も人の手が届かないため、時間が止まった状況となっている。5年という月日は何なのだろう。「絆」と言っていた人たち。原発なんてこりごりだ、と言っていた人たち。どこへ行ってしまったのだろう。実際に被災した筆者は他人事ではなかった。被災者たちの「忘れないで欲しい」という言葉が本当に胸を締め付ける。5年も経っているのに、何も進んでいない。雑草の丈や、埃まみれになって荒廃した店舗や住居がその年月を示しているだけだ。

2.風評とは

 本当の風評とはなんだろう。風評被害から救うために、「食べて応援」「訪れて応援」と言う。その逆はないのか。「危険はないから」「安全だから」という“風評”はないのか。本当に安全なら、何で今も多くの国が日本からの食料品を輸入禁止にしているのか。事故以前の放射能の安全性の基準と事故後で何でこんなに変わったのか(病院に行ってもレントゲン室などの警戒レベルは変わっていない)。どこまで甲状腺の癌患者が増えたら、因果関係があると言えるのか。わからないことはいっぱいある。なのに、一方を持って風評被害というのは危険だろう。危険が立証されないなら安全というのは、結局、安全が立証されないなら危険だ、というのと同じだからである。

3.本当の支援とは

 そんな中で、本当の支援とは何かを考えなければならないのだろう。復興が「帰還する」「都市として再生する」ことを前提としているが、本当にそれは正しいのだろうか。誰も帰らない(帰れない)ことを前提とする復興もありなのではないだろうか。筆者がいる新潟にも、生活の基盤を構えて、自立し始めた人たちも増えてきている。こういう人たちを支援していくことが本当の支援ではないだろうか。我々には、放射能に関する科学的知識も安全を立証する能力もない。そういう状況で、被災地の安全を叫ぶだけの支援が無責任にもなりかねない(今回の視察で、実際の放射能の値を測定してみてそう感じた)。逆に、福島の地から離れて、行政の支援の枠からはみ出た人たちの支援が必要なのだと思う。こういう人たちはなかなか注目もされない。できる範囲で、支えていきたい。